藍鵲的南亜細亜・美麗島

藍鵲 写真の鳥が台湾藍鵲です。 台湾藍鵲(ヤマムスメ) (学名 Urocissa caerulea、 英語名 Formosan Blue Magpie) カラスと同じカラス科の鳥であるが、胴体が鮮やかな青色で、 頭、胸、頸、喉が黒色で、足、嘴が赤色で、目が黄色の虹彩 である。また、長さ40センチに達する尾羽は、中央にある 最長の二本が鮮やかな青色で、残る尾羽が黒色で、尾先が 白色である。 台湾藍鵲は海抜300メートルから1200メートルまでの闊葉樹林 に棲息。 常に小さい群れを作り、林間を飛び回る。 カラス科の独特な鳴き声―ガアガアと鳴る。 雑食性の鳥類に属し、果物の中でパパイヤが一番好きである。

原住民

美麗島の東側  七腳川事件

手元に花蓮在住の片桐氏の著された
「花蓮を中心とした東台湾開発の歴史」
副題ー「台湾人が親日的な理由」を解き明かすー
東台湾

そして、台湾吉安郷公所発行
「魅力
吉安」という2冊の冊子がある。
吉安1
「魅力吉安」の日本移民関連頁
吉安2

清の時代の古地図を見ても西側のみで中央山脈でお終い。

藍鵲が初めて美麗島に行った時は西海岸部から東海岸部に
行く鉄道は未建設で東部は地球の裏側のような遠さがあった。
それだけに美麗島東部の知識は原住民が多いことくらいしか
なかった。
「花蓮を中心とした東台湾開発の歴史」を読んで
七腳川
事件」も初めて知った藍鵲。
(「七腳川」は現在「吉安渓」呼ばれている)

七腳川件関連

おおまかに言うとこんなかんじの事件です。

http://asia-bunka-tsushin.com/?p=490

http://blog.goo.ne.jp/ainunews/e/486e72a520b8e4be61e891b780c18966

日清戦争の結果、日本の植民地化した台湾。
日本はまず最初に漢民族系の多く居住する西海岸側制圧に
約20年を費やした。
しかし険しい中央山脈、勇猛な原住民の居住地域東海岸側を
制圧するのはそれ以降になった。
植民と経営後発の日本は列強の植民地経営を学習したようで、
制圧に屈し帰順した原住民を
と徹底抗戦する原住民征伐に
利用
した。しかし、七腳川事件」では
「帰順組と徹底抗戦組」が戦いの半ばで手を結び、
大規模な抗日事件を起こしたのだ

「七腳川事件」の結果、先住の原住民は強制的に移住させられ
空き地となった土地に日本からの農業移民が入植し
吉野村などの日本人村が作られてゆきます。


七腳川事件に関する報道番組


原住民からみれば
七腳川事件」はこうなるのです。
http://tw.myblog.yahoo.com/rina-hem/article?mid=75

七腳川
事件紀念館もあります
http://www.abohome.org.tw/index.php?option=com_content&view=article&id=4341:2009-12-01-04-28-28&catid=73:2008-10-22-22-16-20&Itemid=132

「理蕃」と呼ばれた原住民制圧の戦いがいかに凄惨だったかは、この
資料の12頁からの従軍記をお読み頂ければよくわかると思います。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/13087/1/AjiaTaiheiyo_09_00_008_Goto.pdf#search=%27%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E7%B7%8F%E7%9D%A3%20%E7%90%86%E8%95%83%27


吉野村移住関連

吉野村関連などの当時の新聞記事(時系列)

大正6年(1917)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00472075&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

大正11年(1922)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00490353&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

(参考:大正11年開通花蓮台東間列車関連)

http://ktymtskz.my.coocan.jp/agia/daito.htm

昭和3年(1928)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00474308&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

昭和10年(1935)

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10025779&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

移民を送った側(徳島)からの考察 
(PDFをAdobe等で開けて読んでください
www.lib.tokushima-u.ac.jp/repository/file/54455/20120223145904/LID201202232001.pdf#search=%27%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9D%B1%E5%8F%B0%E6%B9%BE%27

吉野村は現在「吉安郷」と言う地名になっています。
日本統治時代の吉野村建造物を残す運動も行われています。



西元1917年,日人為了安定遠渡重洋開墾思念故鄉的日本民心,
為了提供一個讓日人移民安定的力量,也為了傳教,
一位名為川端滿二的長者,於是決定在此籌建屬日本真言宗
­野派的『吉野布教所』,即現今的『慶修院』。
慶修院在當時除了是日人的精神信仰中心外,並具備了醫療所、
課堂室及喪葬法事服務處等多種功能



吉野村のお隣、花蓮関連


花蓮港の「港」工事中の動画(7分過ぎから)


日治時代にあった神社跡
http://blog.goo.ne.jp/jinjya_taiwan/c/07472cdd73ebc9421a8ec327bf3ef188/3


参考 台湾の原住民
http://www.dmtip.gov.tw/JP/amis.htm


参考 当時の生活記録 特に3を
ww3.kumagaku.ac.jp/research/fa/files/2011/11/4d169cf22f35eb5f4f4ef0ffcde81849.pdf#search='日本統治下の花蓮港'

参考 片桐さん
HPは http://shinyi.net/





サヨンの鐘

中秋の名月にとお月さまの歌を探していた
http://pajaro886.blogspot.com/

こんな番組名でお月さまの曲

「月光小夜曲」を聴いてあれれれ

これって台湾のお話をもとに
日本人が作った「サヨンの鐘」だよ
なぜに中国大陸の中秋の日のTVに??

サヨンの鐘」について
1938年台湾の宜蘭県のタイヤル族の 村の日本人警官に召集令状が届いた。
警官は村人か ら慕われ、村人たちは荷物を運びながら見送ることにした。
警官が村を離れる日、暴風雨で川は増水し、荷物を背負った
当時17歳の少女サヨンは足を滑らせ、激流に流され帰らぬ人となった。
この事故を台湾総督は、出征兵を送る少女が命を犠牲にした愛国美談とし、村に鐘が贈った。
この話をもとにした 西條八十作詞、古賀政男作曲「サヨンの鐘」が台湾で流行し、1943年李香蘭主演で松竹映画「サヨンの鐘」が製作された。


「サヨンの鐘」資料みっちりと!物好きの方はどうぞ(^_^)v 

 http://home.hiroshima-u.ac.jp/tatyoshi/sayunbunken.pdf


映画「サヨンの鐘」ラストシーン

今は「サヨンの路」になっているのですね

月光小夜曲(國語)/サヨンの鐘(日語)/莎詠(台語)と説明がありますから

日本語版は「サヨンの鐘

台湾語版が「莎詠」
これには作曲古賀政男作詞西条八十と明記
 

中国語版が「月光小夜曲」。

そして広東語版「每當變幻時」もありました。


唄 渡辺はま子「サヨンの鐘」映像は李香蘭主演の映画「サヨンの鐘」


莎詠(台語版)この歌詞は良い.お好み。

月光小夜曲を2人の歌手で




これだと場末の飲み屋のカラオケ演歌



每當變幻時 

日文原曲とありました



番外編 1

これが最高



番外編 2

宜蘭設治記念館の映像で


宜蘭設治記念館
http://memorial.ilccb.gov.tw/modules/tinyd3/

宜蘭設治記念館を見るために宜蘭に行ってきました。











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